出席者
深迫康之(五、七話担当。74年生まれ)、白石達也(三、六話担当。74年生まれ)、
高橋洋人(四話担当。79年生まれ)、藤原知之(八話担当。78年生まれ)
かつて、『新世紀エヴァンゲリオン』をやった後に監督・庵野秀明が、ネクスト作品のために若手を育てようとして『彼氏彼女の事情』(98~99)を手掛けた。スタッフたちはそこで大いに暴れて天高く羽ばたいた。
この時のプロデューサーはキングレコードの大月俊倫である。
あれから、十数年――、歴史は繰り返す!?
堤幸彦が、大月プロデュースの下、『家族八景』で若手演出家に活躍の場を与えることに。
MBSで『帝王』『クロヒョウ龍が如く新章』『土俵ガール』などを担当してきた深迫康之、『SPEC~天~』の助監督などで、堤を長らく支えている白石達也、堤作品のメーキング、番宣番組などを担当してきた高橋洋人、藤原知之。この四人が、各々の個性を生かして『家族八景』中盤を担う。
この座談会では、彼らの魅力と可能性と、彼らしか知らない堤監督の秘密(?)に迫ります!
――『家族八景』のお話や堤監督のお話、そして次世代演出家として、これからの映像界がどうなっていくのかという展望なども伺えたら。
四人 それ(映像界の話)は無理だ~~~(笑)。
ドキュメンタリーをやりたくて制作会社に入ったら、ドラマ部門に配属されてしまいまして。
それで「ドキュメンタリーをやりたい」と上司に訴えたら中国の紀行番組をやらせてもらえたんですが、それはドキュメンタリーの体で作っていたので、とても違和感を覚えた。
それだったら最初から嘘の世界と開き直合っているドラマのほうがいいなと思ってドラマの世界に戻ったんです。
深迫 僕は学生の頃、ドラマといえば、当時話題だった『東京ラブストーリー』や木村拓哉さん主演のドラマなどを見ていたくらいで、映画のほうが好きでした。
痛い学生、いるじゃないですか、ヌーベルヴァーグとかが好きでひとりで名画座に行くような映画青年(笑)。
白石、高橋、藤原 (感嘆!)
深迫 渋谷で日中に3本、池袋でオールナイトの映画特集4本、1日7本くらい映画をはしごしたり、フィルムセンターにも通いつめたりしていました。『アンダルシアの犬』『戦艦ポチョムキン』や弁士のいる小津安二郎の無声映画を見たり(笑)。
高橋 この話だけで一時間くらい聞けそうですね。
四人 (爆笑)
深迫 映画見て、五つ星とか書いて。書かない? 書かない?
白石、高橋、藤原 (首を横に振る)
深迫 そんなふうに映画に対しての憧れがあってこの世界に。MBS に入って最初は情報番組や音楽番組をやっていたけれど、ドラマをやりたいと言っていたことを上司が覚えていてくれて、30歳くらいにやっとドラマの世界に入れました。
白石、高橋、藤原 あります、あります。
深迫 僕はそういう時、堤さんの作品をよく見るんです。作品以外でも『トリック 堤幸彦演出研究序説』もけっこう見ていた(笑)。日高(貴士。演出部)さんだったかな。「堤組は大変だけど絶対報われるから楽しいよね」って言っていたことが印象的だったなあ。
深迫 ごめんなさい。これ、文字に起こすとつまらないと思うよ(笑)。
僕は堤さんが撮ってる時に、ずっと後から見学していたんです。たぶん「なんだこいつ?」と思われていたんだろうね。すごい気を使って話しかけてくれて。うなぎの生態について細かく解説してくださったり。
監督って気候の話とか好きじゃない。写真も撮るし。引き出し多いなあと思った。
白石 そうなんですよね。でも、僕たちは、そういう知的な話を聞いても「はあ……」としか返せなくて(笑)。
深迫 みんな、堤さんの現場でずっと一緒でしょ? たまにはひとりになりたくなる?(笑)
藤原 いや、堤さんとは一緒にいても息苦しくならないんです。
深迫 昔は、金髪だったし、怖くなかった?
白石 見た目に驚いたことはありましたね。僕はTBSではじめて堤組に遭遇した時、異質な感じがして驚きました。
堤さんはロン毛を後で束ねていて、演出部の日高が金髪で、稲留(武)はあの頃、ターバン巻いていて。
関根(淳)は坊主でピアス。あいつら何者だ?って思った。荒くれ者に見えたんです(笑)。
藤原 今、自分たちがそう思われている(笑)。
白石 仕事はみんなちゃんとしているんですけどね。
高橋 僕はホントはサッカー選手になりたかったけど、無理で、この業界に。深迫さんとは逆で、映画をそんなに見てなくてドラマが好きでした。一番好きなドラマは……多分、今日、こういうこと訊かれるのかなと思って考えていたのが『AD ブギ』(笑)。今、考えるとすっごい単純な作品なんだけど、そこから、この世界の基礎が学べた(笑)。
オフィスクレッシェンドに入ると当時はほとんどみんなクイズ番組を担当させられるんです。そこでドラマがやりたいのに……って辞めちゃう人もいますが、でも僕はその流れに乗らなくて。女子大生の番組だったので、まあいいかと(笑)。そんな時に、一度だけ、堤さんの現場についたんです。新人で、お茶を用意するなどカンタンなことからはじめるんですが、そこで初めてドラマの現場を知ることができたんです。その時に、灰皿にコーヒーのかすを入れると煙草のニオイが消えるっていう情報をテレビから仕入れて、当時タバコを吸っていた堤さんに出してみたら喜ばれた。そんなことを覚えてます。(笑)。その後、堤組ではない番組を経て、最近ですよ、堤さんのとこについたのは。
白石 今はものすごく抱えているよね、堤作品を。
藤原 僕は高橋さんの一年後にクレッシェンドに入りました。
僕は映画が好きですが、深迫さんとは違って、いわゆる商業映画のほうが好きでしたね。
深迫 いや、おれ、そっちも好きだよ!
藤原 子供の頃好きだったのはジャッキー・チェン。小学生の時はジャッキー・チェンの他に『インディ・ジョーンズ』などを見ていましたが、次第に邦画を見るようになって、高校、大学の頃は、黒沢清、岩井俊二、矢口史靖などを見ていました。
そして映画の仕事をしたいなと思っていた時にテレビで『ケイゾク』の予告を見て、なんだ、これ?って見てみたら、すごいハマって。クレッシェンドで作っていることを知って入社試験を受けました。でも一回落とされているんですよ。大学四年の春か夏に受けて、二、三回面接を受けた時、面接官の手元が丸見えで、僕の採点は全部丸だったのに、なんで落ちたのか納得いかなくて、プロデューサーに電話したんです。
深迫、白石、高橋 (爆笑)
藤原 そうしたら「学生だからすぐ来れないじゃん」って言われて、「だったら学校辞めていきますよ」と言ったら、「そこまで言うなら、卒業後に来ていい」と。でも、いざ入ってみると、やっぱり高橋さんと同じでバラエティーに配属されて。
その時、チーフADが高橋さんで、めっちゃこわかったんですよ(笑)。高橋さんはすごく細かいけれど僕はルーズなので、毎日怒られていました。
その頃、たまたま会社に堤さんがいて、挨拶ついでに人生相談したんです。「ドラマやりたくて入ったのに、大丈夫ですかね?」って。そしたら「実は、俺もとんねるずのバラエティーからはじめたし、今やっていることは絶対役に立つからがんばったほうがいいよ」と言ってくれた。
そこから五年くらい後に映画『明日の記憶』の助監督になって、その後、ずっと堤さんと一緒です。
まあ、誰でもそれは撮るんですけど(笑)。特にこのドラマは見た目が変化するっていうのがテーマだったんで、表情を追いかけました。
高橋 泣きの芝居の予定じゃなくて?
白石 相手へのリアクションの表情を七瀬なら七瀬でまとめて撮るんですね。三話は大家族の話で、ひとりひとりに対する表情を撮るのに時間がかかったんですよ。そしたら、目が渇いてきて、涙、出そう、いや、むしろ、出ろって思って。
でも、出たところで使えるのか?って自問自答しながら(笑)。
高橋 僕もほんとに最低限しか撮ってないです。寄りと引きの。僕は四話を担当しましたが、ドラマを演出するのはこれが初めてでしたからどうしようか悩みました。でも、これまで現場で見てきたことをやるしかないと思って。
このドラマはワンシチュエーションで舞台ぽい雰囲気があるので、平面的な超アナログでいこうと思いました。
堀部さんの顔の濃さが、おもしろくなるなと思って、アップのカットをわざと長めに使いました。
一番困ったのは、車に乗るシーン。そんなシーンを撮る時間がないって焦りましたね。
白石 スケジュール的には大変そうだなって思った。
高橋、あとは、どこでコーヒーを入れるかのタイミングを……。なんか話を繋げたほうがいいんですよね(笑)。
深迫 撮影日数が二日しかないのはキツかったですね。しかもタク送(終電が過ぎて関わった人をタクシーで送り帰すこと)にならない時間で撮り終えるというのは。深夜枠のドラマで、撮影二日というのは初めてでした。
たとえ移動がないにしても、心の状態を表すための着替えが必ずある。これが時間を取るんですよ。
でも、これがこのドラマのおもしろさだから、いかにおもしろくて、かつ、短い時間で着替えられるものと考えた結果、五話は水着、七話は体操服(羽つき)になりました。
あとは、五話の奥さんが最後に怒りが膨らみ過ぎて菩薩みたいになるところを映像化することが難しかったですね。
CGの予算もないし。結果、なかなかおもしろいものになったと思います。
鈴木一真さんも、かっこいいイメージを壊しておもしろい芝居をしてくださいました。
白石 深迫さん、すごいちゃんとした発言してる。それに比べて、おれ、何位も情報発してねえなって、反省しました(笑)。
深迫 こういう話をするのって難しいよね。番宣番組作ったじゃない?堤さんの話、おもしろいよね。サービス精神あるよね。
白石 堤さんは、こういう宣伝トーク、慣れてますよね。
藤原 僕は撮影前の話になるんですけど、堤さんが、一、二、九、十話を担当することにあらかじめ決まっていたけど、後は誰が何話を担当するかまだ決まっていなかった時、プロデューサーの市山竜次さんが割り振りに悩んでいたので、あ、これ、自分が希望を言ったら通りそうって思ったんですよ。それで八話をやりたいって言ってみた。僕はずっとスタッフルームにいて、希望を言う隙を狙っていたんです(笑)。
白石 おれ、ある時、クレッシェンドに呼ばれて行ったら、「三話やって。明日、本打ち(脚本の打ち合わせ)」っていきなり言われた(笑)。深迫さんが先で、その後、おれと思っていたのに。
深迫 僕は『深夜食堂2』をやっていたから、ちょっと後のほうが良かったんだよね。
藤原 なんで八話を希望したかと言うと、みんなが撮った後にできるから。
僕は『トリック』から派生したミニコント番組などを担当してきて、お決まりのパターンに乗っかった上で崩すやり方が好きなんですよ。今回も、七話までにみんなが作ったものをある程度壊して違う感じにしたかった。
白石 器用で上手で、現場でたくさん助けられました。
深迫 難しい役だと思うんだよ。自分のことを語る台詞がほとんどなくて、家族の状況の説明と心の声をやらなくてはならなくて。
高橋 相手の心の声をやって、その声に対する反応もやるんだから、大変ですよね。
深迫 木南さんはすぐに他の俳優のしゃべり方になりきってしまうって監督も褒めていたけれど、その器用さがお芝居に出ていた。ある意味、木南さんのリアクションを楽しむドラマですよね。相手につっこんだ顔、恐怖を感じる顔など、すごくわかりやすく伝わってくる。七瀬に適役だと思う。
藤原 木南さんは、はっきり意見を言ってくれるんで良かったです。
八話では七瀬の聖人ではなく人間くさい部分を出したかったので、いろいろ話し合いました。
深迫 一~十話まで全部参加しているのは木南さんだけだから、トータルのキャラクター設計をやってくれた。
白石 脚本家も演出家もバラバラだから、大変だったでしょうね。
藤原 番宣のインタビューで「毎回変わるのは、正直やりづらいこともあったけれど、そういうものだと割り切って演じた」と言っていました。
深迫 みんなそれぞれが見たい七瀬、木南さんを撮ったという感じだよね。まあ、知らずに見たら、何が起こってるんだ?とビックリするようなドラマになったと思うし、アンダーグラウンド・ドラマの金字塔になればいいね。
白石 確かにほかのドラマとは一線を画した感じがあります。シュールさでは突き抜けている。今、王道じゃないことってなかなかできない状況において、これがやれたことは貴重だと思いますね。
高橋 僕もこの作品がドラマ演出デビューとなったことを誇りに思います。
深迫 後半戦もお楽しみ頂きたいですね。
深迫康之(五、七話担当。74年生まれ)、白石達也(三、六話担当。74年生まれ)、
高橋洋人(四話担当。79年生まれ)、藤原知之(八話担当。78年生まれ)
左から、高橋、深迫、白石、藤原
この時のプロデューサーはキングレコードの大月俊倫である。
あれから、十数年――、歴史は繰り返す!?
堤幸彦が、大月プロデュースの下、『家族八景』で若手演出家に活躍の場を与えることに。
MBSで『帝王』『クロヒョウ龍が如く新章』『土俵ガール』などを担当してきた深迫康之、『SPEC~天~』の助監督などで、堤を長らく支えている白石達也、堤作品のメーキング、番宣番組などを担当してきた高橋洋人、藤原知之。この四人が、各々の個性を生かして『家族八景』中盤を担う。
この座談会では、彼らの魅力と可能性と、彼らしか知らない堤監督の秘密(?)に迫ります!
――『家族八景』のお話や堤監督のお話、そして次世代演出家として、これからの映像界がどうなっていくのかという展望なども伺えたら。
四人 それ(映像界の話)は無理だ~~~(笑)。
――ではまず自己紹介をお願いします。
白石 正直言っちゃうと、ドラマや映画をやりたくてこの世界に入ったんじゃないんです。ドキュメンタリーをやりたくて制作会社に入ったら、ドラマ部門に配属されてしまいまして。
それで「ドキュメンタリーをやりたい」と上司に訴えたら中国の紀行番組をやらせてもらえたんですが、それはドキュメンタリーの体で作っていたので、とても違和感を覚えた。
それだったら最初から嘘の世界と開き直合っているドラマのほうがいいなと思ってドラマの世界に戻ったんです。
深迫 僕は学生の頃、ドラマといえば、当時話題だった『東京ラブストーリー』や木村拓哉さん主演のドラマなどを見ていたくらいで、映画のほうが好きでした。
痛い学生、いるじゃないですか、ヌーベルヴァーグとかが好きでひとりで名画座に行くような映画青年(笑)。
白石、高橋、藤原 (感嘆!)
深迫 渋谷で日中に3本、池袋でオールナイトの映画特集4本、1日7本くらい映画をはしごしたり、フィルムセンターにも通いつめたりしていました。『アンダルシアの犬』『戦艦ポチョムキン』や弁士のいる小津安二郎の無声映画を見たり(笑)。
高橋 この話だけで一時間くらい聞けそうですね。
四人 (爆笑)
深迫 映画見て、五つ星とか書いて。書かない? 書かない?
白石、高橋、藤原 (首を横に振る)
深迫 そんなふうに映画に対しての憧れがあってこの世界に。MBS に入って最初は情報番組や音楽番組をやっていたけれど、ドラマをやりたいと言っていたことを上司が覚えていてくれて、30歳くらいにやっとドラマの世界に入れました。
――映画を観てきた下地が今に生かされているのですね。
深迫 いやいやいや、現場で先輩方のやり方を見て覚えたことがたくさんありますし、それと今まで見てきた映画とを組み合わせて、今の自分があるのかなって。……なんかこの発言、真面目過ぎてイヤだ(笑)。堤さんは、ほんとに僕のなかでアイドル。っていうか憧れの人のトップにいるんです。だから、今回、一緒のドラマを作ることになって、顔には出さなかったけれど、めっちゃ興奮していたんだよ(笑)。撮影に当たって、自分のイマジネーションを高めるために見る作品ってない?白石、高橋、藤原 あります、あります。
深迫 僕はそういう時、堤さんの作品をよく見るんです。作品以外でも『トリック 堤幸彦演出研究序説』もけっこう見ていた(笑)。日高(貴士。演出部)さんだったかな。「堤組は大変だけど絶対報われるから楽しいよね」って言っていたことが印象的だったなあ。
[それぞれの、堤幸彦体験]
白石 いやあ、深迫さん、すばらしいコメントですね。深迫 ごめんなさい。これ、文字に起こすとつまらないと思うよ(笑)。
僕は堤さんが撮ってる時に、ずっと後から見学していたんです。たぶん「なんだこいつ?」と思われていたんだろうね。すごい気を使って話しかけてくれて。うなぎの生態について細かく解説してくださったり。
監督って気候の話とか好きじゃない。写真も撮るし。引き出し多いなあと思った。
白石 そうなんですよね。でも、僕たちは、そういう知的な話を聞いても「はあ……」としか返せなくて(笑)。
深迫 みんな、堤さんの現場でずっと一緒でしょ? たまにはひとりになりたくなる?(笑)
藤原 いや、堤さんとは一緒にいても息苦しくならないんです。
深迫 昔は、金髪だったし、怖くなかった?
白石 見た目に驚いたことはありましたね。僕はTBSではじめて堤組に遭遇した時、異質な感じがして驚きました。
堤さんはロン毛を後で束ねていて、演出部の日高が金髪で、稲留(武)はあの頃、ターバン巻いていて。
関根(淳)は坊主でピアス。あいつら何者だ?って思った。荒くれ者に見えたんです(笑)。
藤原 今、自分たちがそう思われている(笑)。
白石 仕事はみんなちゃんとしているんですけどね。
高橋 僕はホントはサッカー選手になりたかったけど、無理で、この業界に。深迫さんとは逆で、映画をそんなに見てなくてドラマが好きでした。一番好きなドラマは……多分、今日、こういうこと訊かれるのかなと思って考えていたのが『AD ブギ』(笑)。今、考えるとすっごい単純な作品なんだけど、そこから、この世界の基礎が学べた(笑)。
オフィスクレッシェンドに入ると当時はほとんどみんなクイズ番組を担当させられるんです。そこでドラマがやりたいのに……って辞めちゃう人もいますが、でも僕はその流れに乗らなくて。女子大生の番組だったので、まあいいかと(笑)。そんな時に、一度だけ、堤さんの現場についたんです。新人で、お茶を用意するなどカンタンなことからはじめるんですが、そこで初めてドラマの現場を知ることができたんです。その時に、灰皿にコーヒーのかすを入れると煙草のニオイが消えるっていう情報をテレビから仕入れて、当時タバコを吸っていた堤さんに出してみたら喜ばれた。そんなことを覚えてます。(笑)。その後、堤組ではない番組を経て、最近ですよ、堤さんのとこについたのは。
白石 今はものすごく抱えているよね、堤作品を。
藤原 僕は高橋さんの一年後にクレッシェンドに入りました。
僕は映画が好きですが、深迫さんとは違って、いわゆる商業映画のほうが好きでしたね。
深迫 いや、おれ、そっちも好きだよ!
藤原 子供の頃好きだったのはジャッキー・チェン。小学生の時はジャッキー・チェンの他に『インディ・ジョーンズ』などを見ていましたが、次第に邦画を見るようになって、高校、大学の頃は、黒沢清、岩井俊二、矢口史靖などを見ていました。
そして映画の仕事をしたいなと思っていた時にテレビで『ケイゾク』の予告を見て、なんだ、これ?って見てみたら、すごいハマって。クレッシェンドで作っていることを知って入社試験を受けました。でも一回落とされているんですよ。大学四年の春か夏に受けて、二、三回面接を受けた時、面接官の手元が丸見えで、僕の採点は全部丸だったのに、なんで落ちたのか納得いかなくて、プロデューサーに電話したんです。
深迫、白石、高橋 (爆笑)
藤原 そうしたら「学生だからすぐ来れないじゃん」って言われて、「だったら学校辞めていきますよ」と言ったら、「そこまで言うなら、卒業後に来ていい」と。でも、いざ入ってみると、やっぱり高橋さんと同じでバラエティーに配属されて。
その時、チーフADが高橋さんで、めっちゃこわかったんですよ(笑)。高橋さんはすごく細かいけれど僕はルーズなので、毎日怒られていました。
その頃、たまたま会社に堤さんがいて、挨拶ついでに人生相談したんです。「ドラマやりたくて入ったのに、大丈夫ですかね?」って。そしたら「実は、俺もとんねるずのバラエティーからはじめたし、今やっていることは絶対役に立つからがんばったほうがいいよ」と言ってくれた。
そこから五年くらい後に映画『明日の記憶』の助監督になって、その後、ずっと堤さんと一緒です。
[制約の中でどうおもしろくするか]
――ドラマだけでなくいろいろな経験をしてきた皆さんにとって『家族八景』は、経験から育まれたアイデアを駆使して遊べる作品だったと思いますが、それぞれトライしたことや現場のエピソードを教えてください。
白石 僕はとりあえず撮り切ることだけ考えていました。逆に、二日間で撮るという縛りがあったから良かったとも思います。いい意味で割り切れたので。はじめに、堤さんから言われたのは、引きと寄りを最低限撮っておけばOKだと。まあ、誰でもそれは撮るんですけど(笑)。特にこのドラマは見た目が変化するっていうのがテーマだったんで、表情を追いかけました。
――三話の最後で七瀬が追い込まれて涙を流す顔が良かったです。
白石 あれは、ぶっちゃけ、木南さんの目が渇いて涙が出ちゃっただけなんです(笑)。高橋 泣きの芝居の予定じゃなくて?
白石 相手へのリアクションの表情を七瀬なら七瀬でまとめて撮るんですね。三話は大家族の話で、ひとりひとりに対する表情を撮るのに時間がかかったんですよ。そしたら、目が渇いてきて、涙、出そう、いや、むしろ、出ろって思って。
でも、出たところで使えるのか?って自問自答しながら(笑)。
――まさにドキュメントタッチじゃないですか。
白石 アハハ。僕は、そういう方向で話を進めればいいんだ(笑)。高橋 僕もほんとに最低限しか撮ってないです。寄りと引きの。僕は四話を担当しましたが、ドラマを演出するのはこれが初めてでしたからどうしようか悩みました。でも、これまで現場で見てきたことをやるしかないと思って。
このドラマはワンシチュエーションで舞台ぽい雰囲気があるので、平面的な超アナログでいこうと思いました。
堀部さんの顔の濃さが、おもしろくなるなと思って、アップのカットをわざと長めに使いました。
一番困ったのは、車に乗るシーン。そんなシーンを撮る時間がないって焦りましたね。
白石 スケジュール的には大変そうだなって思った。
高橋、あとは、どこでコーヒーを入れるかのタイミングを……。なんか話を繋げたほうがいいんですよね(笑)。
――サッカーではどこのポジションでしたか?
高橋 小学校の時は右のウイング。そこからミッドフィルダーに。――高橋さんは中継能力がありそうですね。
高橋 いや、でもすごい走るタイプで、小学校のコーチから一言もらったのが「スピード」でした。――四話にはスピードがありました。切り返しのリズムがすごくよかった。
高橋 そこに繋げますか(笑)。深迫 撮影日数が二日しかないのはキツかったですね。しかもタク送(終電が過ぎて関わった人をタクシーで送り帰すこと)にならない時間で撮り終えるというのは。深夜枠のドラマで、撮影二日というのは初めてでした。
たとえ移動がないにしても、心の状態を表すための着替えが必ずある。これが時間を取るんですよ。
でも、これがこのドラマのおもしろさだから、いかにおもしろくて、かつ、短い時間で着替えられるものと考えた結果、五話は水着、七話は体操服(羽つき)になりました。
あとは、五話の奥さんが最後に怒りが膨らみ過ぎて菩薩みたいになるところを映像化することが難しかったですね。
CGの予算もないし。結果、なかなかおもしろいものになったと思います。
――七話はオリジナルです。
深迫 とにかく本田博太郎さんが迫力があって。その怪演が見どころです。鈴木一真さんも、かっこいいイメージを壊しておもしろい芝居をしてくださいました。
白石 深迫さん、すごいちゃんとした発言してる。それに比べて、おれ、何位も情報発してねえなって、反省しました(笑)。
深迫 こういう話をするのって難しいよね。番宣番組作ったじゃない?堤さんの話、おもしろいよね。サービス精神あるよね。
白石 堤さんは、こういう宣伝トーク、慣れてますよね。
藤原 僕は撮影前の話になるんですけど、堤さんが、一、二、九、十話を担当することにあらかじめ決まっていたけど、後は誰が何話を担当するかまだ決まっていなかった時、プロデューサーの市山竜次さんが割り振りに悩んでいたので、あ、これ、自分が希望を言ったら通りそうって思ったんですよ。それで八話をやりたいって言ってみた。僕はずっとスタッフルームにいて、希望を言う隙を狙っていたんです(笑)。
白石 おれ、ある時、クレッシェンドに呼ばれて行ったら、「三話やって。明日、本打ち(脚本の打ち合わせ)」っていきなり言われた(笑)。深迫さんが先で、その後、おれと思っていたのに。
深迫 僕は『深夜食堂2』をやっていたから、ちょっと後のほうが良かったんだよね。
藤原 なんで八話を希望したかと言うと、みんなが撮った後にできるから。
僕は『トリック』から派生したミニコント番組などを担当してきて、お決まりのパターンに乗っかった上で崩すやり方が好きなんですよ。今回も、七話までにみんなが作ったものをある程度壊して違う感じにしたかった。
――珍しく外で撮っていますよね。
藤原 僕だけ唯一、撮影に三日もらったんです。七瀬にどうしても外でやらせたいこともあって。[木南晴夏を讃える!]
深迫 なんと言っても木南晴夏さんが、すごく良かったですね。表情豊かだし、演技の引き出しがいっぱいあって。白石 器用で上手で、現場でたくさん助けられました。
深迫 難しい役だと思うんだよ。自分のことを語る台詞がほとんどなくて、家族の状況の説明と心の声をやらなくてはならなくて。
高橋 相手の心の声をやって、その声に対する反応もやるんだから、大変ですよね。
深迫 木南さんはすぐに他の俳優のしゃべり方になりきってしまうって監督も褒めていたけれど、その器用さがお芝居に出ていた。ある意味、木南さんのリアクションを楽しむドラマですよね。相手につっこんだ顔、恐怖を感じる顔など、すごくわかりやすく伝わってくる。七瀬に適役だと思う。
藤原 木南さんは、はっきり意見を言ってくれるんで良かったです。
八話では七瀬の聖人ではなく人間くさい部分を出したかったので、いろいろ話し合いました。
深迫 一~十話まで全部参加しているのは木南さんだけだから、トータルのキャラクター設計をやってくれた。
白石 脚本家も演出家もバラバラだから、大変だったでしょうね。
藤原 番宣のインタビューで「毎回変わるのは、正直やりづらいこともあったけれど、そういうものだと割り切って演じた」と言っていました。
深迫 みんなそれぞれが見たい七瀬、木南さんを撮ったという感じだよね。まあ、知らずに見たら、何が起こってるんだ?とビックリするようなドラマになったと思うし、アンダーグラウンド・ドラマの金字塔になればいいね。
白石 確かにほかのドラマとは一線を画した感じがあります。シュールさでは突き抜けている。今、王道じゃないことってなかなかできない状況において、これがやれたことは貴重だと思いますね。
高橋 僕もこの作品がドラマ演出デビューとなったことを誇りに思います。
深迫 後半戦もお楽しみ頂きたいですね。